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平城、立地によっては難攻不落 [城]

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十河城(中央の本丸跡には寺院がたつ、隣は池) バーズアイ、香川

山は大軍に攻められた時に逃げ込む格好の立地だっため、南北朝時代以降、武士は領内の山に山城を築くようになりました。ところが、必ずしも山城のみが、防戦用の城として秀逸だった訳ではありません。平地に造られた平城も、山城のような急峻な崖はないものの、立地によっては盛んに築城されました。それでは、平城はどうして有効だったのでしょうか。

Q.戦国の武士が平城を築いたのは・・なぜ?

A. 弓矢をたくさん持ってたから
B. 落とし穴があったから
C. 周りに木を植えて隠されていたから
D. 敵兵がぬかるみで足を取られたから

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平地は、大軍に囲まれるとひとたまりも無いように思われますが、要は敵兵が攻めこめなければ良い訳ですから、城の周囲にそうした仕掛けを設けることができればいいわけです。平城の多くは、湿地等を利用したぬかるみが設けられていました。平城の周りにつくられたぬかるみでは、敵兵は足をとられ、船も出せないため侵入しにくいわけです。ただし、備中高松城のように、水を使った防備を逆手にとられて、水攻め(秀吉による)によって落城した例もあります。

十河城は西に池、東に断崖、南に大手があった、といいます。写真は大手側から撮ったもの。東の断崖とは、おそらくその下に流れる川に手を加えて堀のようにしたものと言われています。こちらから攻める敵兵はぬかるみのため容易に進めなかったものと思われます。

十河氏は地方豪族でしたが、足利幕府を一度は手中にした三好長慶の弟の一存が養子に入った後、香川県の東部を中心に勢力を広めたとか。その養子の十河存保は、戦国末期に四国統一を果たした土佐の長宗我部元親をこの城で一度は退かせることに成功しています。平城が必ずしも弱い訳ではない例でしょう。





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