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城の始まり [城]

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仲村城跡(後ろに土塁跡がみえる) バーズアイ、香川

桃太郎に退治された鬼が棲んでいたような城は朝鮮式山城とか古代山城と呼ばれています。これは、天智天皇が白村江の戦いで敗れ、逆に日本に攻め込まれるのを警戒して、九州から瀬戸内海沿岸に築城された物といわれます。瀬戸内海を臨む香川県には、屋島や城山に古代山城の城跡が残っています。

その後、東北地方のエミシに対する攻撃を除いて、争乱はほとんどなく、城は築かれなかったようです。次に出現する城らしいものは、平安時代後期から鎌倉時代の武士の舘でした。この頃の武士は荘園の管理者だったといわれますが、それでは、この時代の武士の城はどんなところに造られたのでしょうか。

Q:荘園管理をしていた武士の城が造られたのは、・・・

A1.領地内の平地
A2.川や海の崖の上
A3.山の上
A4.洞穴

こたえはこちら(クリック)




荘園を管理する武士の舘の周囲には、堀が巡らされ、独立した様相でした。武士同士の争いも領地の境界争いや相続争いが主なもので、城に立てこもる必要はありませんでした。この土塁を巡らされた武士の舘が日本の城の始まりといわれます。

仲村城は平安時代の後期の源氏の行司貞房の居城でした。鎌倉時代に堀を深く、土塁を高くして平城にされたそうです。現在もその土塁の一部(写真の背後)が残っています。





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